斉藤野球悲願の初V
 

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 『粘投エース土屋 黒潮打線が援護』

甲子園の大時計が午後二時ちょうどをさした。
昭和49年8月19日、斉藤一之率いる県代表の銚子商業は、決勝戦で西中国代表の防府商と対戦。0−0で6回裏を迎え、黒潮打線が今、まさに爆発しようとしていた。
思えば9年前の昭和40年、剛腕投手・木樽正明を擁して決勝まで進み、あと一歩で深紅の優勝旗を手にできず悔し涙にくれた斉藤....。
「勝とう、勝とう」と、はやる気持ちを抑えられなかった。
その時の教訓を生かして斉藤はこの日、「勝とうと思うな。自分の力全てを出し切れ」とだけ言って試合に臨んだ。
ゲンをかついで夏になると伸ばしっぱなしにしていた無精ヒゲは、夏の県大会が終わると、さっぱりそり落としている。心機一転、開き直りのつもりだった。
だが、エース土屋正勝(中日→ロッテ)はひじを故障している。連投がたたり、電気針を打つ接骨医を同伴しなければならないほど悪い。
実際、本格派だった土屋は勝ち進むほどにかわして打ちとる「技巧派」に変身していった。「なんとか先取点を頼む」とチームメートに声をかけ、気力で最後の1戦に全てをかけた。

2死3塁。その先取点のチャンスがやってきた...。
初めて三番に入った2年の前島哲雄は、土屋と斉藤の言葉をかみしめて打席に立った。
初球、前島が狙っていたカーブは、あっさりとセンター前に弾き返された。
3塁ランナーの加藤功吉が生還すると銚子商ナインの硬さがほぐれる。
続く篠塚利夫(巨人),太田益実,筒井精,池永清が次々と5長短打を放つ。
回が終わると打者一巡で6点が入っていた。これこそ黒潮打線の爆発だった。そして9回。
3塁手の篠塚が、防府商4番バッターのゴロをさばいた。5万人の歓声が地響きとなって銀傘にこだまする。右手で白球を高々とかざしてから矢のような送球が1塁へ。7−0と堂々の完封勝ちだ。土屋はマウンドから駆け降り、捕手の太田に飛びついた。
駆け寄るナイン、どの顔も笑っているが汗と涙でくしゃくしゃだ。
 
「野球をやっていて本当に良かった。早く家に帰って休みたい」 土屋は喜びの涙で途切れながら言葉をつないだ。
2年の春から4度目の甲子園でつかんだ栄光だが、最初の甲子園は特につらかった。 1回戦の報徳学園戦で2番手でマウンドに立ち、16安打を浴びて8点も奪われている。心ないファンは「銚子商の恥さらし」と罵声を浴びせた。
ふがいなさは自分が一番よく知っている。野球をやめようと思ったほどつらいことだった。 そんな長くつらい道程が走馬燈のように頭を駆けめぐる...。
斉藤も泣いていた。
「いったん男と生まれたからには、甲子園で優勝してみたい」と言っていた夢がかなった。「厳しい練習に耐え、選手たちはよく私について来てくれました。今はただ....感激で胸がいっぱいです。選手たちには、良くやってくれた、偉かったぞ、と言ってやりたい。」
目は真っ赤っか。顔はゆがみ、話は何度も途切れた。斉藤にとって、選手とともに掴んだ人生最良の一日だった。
 
宮内 英雄
加藤 功吉
池永 清
篠塚 利夫
前島 哲雄
土屋 正勝
太田 益実
田村 久男
若海 勝雄
筒井 精
林   淳一
綿谷 宏之
根本 雅一
石橋 秀章

第56回(昭和49年)  銚子商(優勝)
5−1 PL学園
5−0 中京商
6−0 平安
6−0 前橋工
7−0 防府商